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キリシタン夫人の鏡、細川ガラシャ
ガラシャ細川
油絵、上田康照作 1961年 細川ガラシャ (1563-1600)
明智光秀の愛娘、名前は玉子。
1579年に細川忠興と結婚し有力大名夫人となった。
1587年大坂で洗礼を受け、ガラシャという名で知られるようになった。戦国時代に生きた夫人として多くの試練にあったが、最後まで自分の夫とキリシタン の 教えに忠実であった。関ヶ原合戦の年1600年に石田三成軍によって殺害された。
知識と美貌に優れ、日本とヨーロッパでも今日に至るまで憧れ、夫人の模範とされる。

記念館で、この油絵のカードを販売している。

『長崎』、ジャック・ベラン、1764年。

保存状況に申し分がなく、史料としても長崎の発展と変化を示している。

「ロヨラの聖イグナチオ」メダル。
白蝶貝、崎津(天草)17世紀

ヨーロッパで作製された物を基にし て作られたであろう。見事な細かい手作業が特徴。

(Juan de Juni作か)ピエタ
「ピエタ」スペインのJuan de Juni (+1557)が作ったと思われる木彫り。
全体的に傷んでいるが原作の力が充分に伝わる作品である。 「ピエタ」とは元々イタリア語で「憐れみ」を表す一般的な言葉であるが、十字架で亡くなったイエスの体を抱える聖母マリアの心を表現するために多くの作品 に使われるテーマとなった。
イルマン・ロレンソ
イルマン・ロレンソ。日本画、町田曲江筆。昭和時代。 
Irmaão Lorenço (Lorenzo, Lorenso)ロレンソ了斎(りょうさい) 1526年- 1592年2月3日)。
平戸市白石出身、日本人イエズス会員修道士。琵琶法師の目の不自由な人だったが、山口でサビエルに出 会い洗礼を受けた。 1563年にイエズス会に入会、全国において宣教師の通訳、案内、仲介者を務め、高山右近名との洗礼に影響を与えた。
1587年の伴天連追放令後九州でかつやくし、1592年に長崎で亡くなった。
『地図帳』オルテリウス、アムステルダム、 1592年
様々なメダル、その種類と比較

迫害が激 しくなる前、日本のキリシタンの間メダル・遺物・ロザリオなどが大流行した。

本来、信心業に使用される物として、材料や形に決まりがないが、楕円形で、イエスの受難、聖母マリアと聖人は一番好まれるテーマに なった。

右の物が恐らくその一例に過ぎない。

本来の掛け穴が壊れ、再度に空けられた穴も崩れたことからもその利用状況がうかがわれる。

左右のメダルの比較によって、当時の日本製と外国製の特徴が現れる。左のメダ ルの輪郭が精密であり、右の方は不鮮明である。外国製の物の型を取って日本の金属で鋳たと思われる。

尚、最近の研究によれば日本製のメダルに用いられた材料が外国から輸入された物が多い。

ザ ビエルの死、作品豊富なテーマ

中国に入ろうとしたザビエルはまだ若いうちに仮小屋で寂しくなくなるテーマが数多くの作品に見られる。

右の銅版画が有名なペトラルカ(19世紀)によるものである。絵そのものは16世紀末から様々な本に出る物を基にしたが、精密さと全体の力強い印象はペト ラルカの技術を活かした作品である。

ザ ビエルの死、作品豊富なテーマ

『ビビリオテカ・セレクタ』(選定書)、アン トニオ・ポセヴィノ著、1593年

良好な保存状況で、この本は16世紀に使わされた「教科書」を集めた作品である。

その中に日本で使用され、日本語にも翻訳されたヴァリニャーノが書いた「カテキスモ」のラテン語版が収められている。

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