日本二十六聖人記念館ホーム.ペ-ジ .
公式サイト Official Site
日 本二十六聖人 名簿 二十六聖人記念碑、舟越保武、1962 年
この記念碑は記念館の前、西坂公園にあります。下の名簿が右からの 順番になります。

 26 聖人の列福・列聖の日付について

26聖人の23人は1627年9月14日に福者になり、3人のイエズス会員は別に明日、1627年9月15日に列福され た。しかし、この段階、パウロ三木・ディエゴ喜斎とヨハネ五島はイエズス会内の祝いとして、つまり限定的な形で 福者と なり、1629 年9月26日に初めて正式な形で26聖人が福者として祝えるようになった。列聖にも発表時期のスレがあったが、 〔列聖式は6月8日に行われたが、その段階3人のイエズス会員が含まれていなかった。その二日後の6月10日付で26人が合わせて列聖されたことが発表された。〕一般的に1862年6月10日に 26人の列聖がまとまったと言えよう。祝日は殉教日に当たる2月5日になったが、西洋に古い伝統に基づいて5日に祝われていた聖アガタの祝日と重なるため、日本以外の祝日は2月6日となっている。(それぞれの正式史料(ラテン語)は、Leo Magnino, “Pontificia Nipponica”, Romae 1947, pp 145-50に出ている。)

この順序は当時(1597年)のルイス・フロイスの記録による。日本語訳は、フロイス, ルイス『日本二十六聖人殉教記』1597『聖ペトロ・バプチスタの書簡』、1596ー1597、結城了悟 訳・解説 純心女子短期大学・長崎地方文化史研究所 第十輯1994、1995年2月)。

All Rights reserved. No copy or use without permission.Written in Unicode(UTF-8)

1。聖フランシスコ吉。京都、大工。逮捕され てはいないが、殉教者と行を共にしたいと願い、長崎への途中で捕らえられ、殉教者に加えられる。年齢不詳。

2。聖コスメ竹屋。尾張、刀剣師。受洗後、伝道 士として大 阪のマルティン神父を助ける。愛をもって病人の世話をし、神父の支えとなった。38歳。

3。聖ペトロ助四郎。京都。殉教者の世話をする ようにと、 京都のオルガンティノ神父から派遣されたが、途中、自分も縄を受け、受刑者の一人に。年齢不詳。

4。聖ミカエル小崎。伊勢、弓矢師。ある日、宣 教師の説教 を聞き、言仰の道ヘ。フランシスコ会第三会に入会。息子トマスと共に殉教。46歳。

5。聖ディエゴ喜斉。備前、イルマン(殉教直前にイエズス会に入会)。体をヤリで 貫か れる時、小声でイエズスとマリアの名を唱えた。64歳。

6。聖パウロ三木。摂津、イルマン(イエズス会修 道者)。 「わたしは何の罪も犯していない。キリシタンの教えを広めただけで処刑されまする」と群衆に。33歳。

7。聖パウロ茨木。尾張。弟レオン鳥丸と共に貧 者、病人の 世話をし、宣 教に 力を尽くす。死を前に「神よ、あなたに命をささげます」と祈る。54歳。

8。聖ヨハネ五島。五島、イルマン(殉教直前にイ エズス会に入会)。「父上も神の教えのまことを信じ、怠りなく神にお仕えくださるよう」と言って自分のロザリオを父に渡 す。19歳。

9。聖ルドビコ茨木。尾張。京都のフランシスコ 会修道院で侍者として仕え る。司祭が逮捕の時、彼は除外されたが、捕らえろよう願い出た。「自分の十字架はどこ」と刑場で尋ねた話は今も語り継がれる。最年少者。 12歳。

10。聖アントニオ。長崎。父親は中国人、母は 日本人。マルチノ神父に京都に連れて来られ、他の少年たちと共に教育を受ける。刑場に来て嘆く両親に、慰めと励ましの言 葉をかける。13歳。

11。聖ペトロ・バプチスタ。スペイン。フランシスコ会司祭。 キリストに ならって両手 を釘付けにされることを願った。イエズスとマリアのなを呼び息絶える

48歳。

12。聖マルチノ・デ・ラ・アセンシオン。スペ イン、フランシスコ会司祭。ヤリで体を突かれる時、大声で「主よ、わが魂を御手 に委ねます」と叫んだ。30歳。

13。聖フィリッポ・デ・ヘスス。メキシコ、フランシスコ会修道士。喜びの涙を流し賛 歌を 歌って息を引き取る。24歳。

14。聖ゴンザロ・ガルシア。インド、修道士。 ヤリで突かれる前、刑吏 に悔俊と改宗をすすめたという。 40歳。

15。聖フランシスコ・ブランコ。スペイン、司 祭。十字架 にはりつけられた時の顔は、微笑が死後も消えなかったという。28歳。

16。聖フランシスコ・デ・サン・ミゲル。スペイ ン、修道 士。若くしてフランシスコ会に入会。貧しい人や病人の友となり、愛徳の実践者。53歳。

17。聖マチアス。京都。家がフランシスコ会修 道院のすぐ 近くにあっ た。洗 礼後、間もなく迫害が始まり捕らえられた。年齢不詳。

18。聖レオン烏丸。尾張。パウロ茨木の弟。フラ ンシスコ 会土のもとで 伝道 士。京都市中の人たちに尽力し、「神の聖役者」と呼ばれる。 48歳。

19。聖ボナベントウラ。京都。出生後受洗。両 親の死で仏 教徒として育 ち、 子供のとき僧侶になるため寺に入った。ある日、受洗したことがわかり、フランシスコ会の同宿として教理の勉強に励み、宣教に尽力。年齢不詳。

20。聖トマス小崎。伊勢。ミカエル小崎の息 子。マルチノ 神父を手伝う。信仰深い少年で、司祭になる希望を持ち、母親にあてた手紙は感動的。14歳。

21。聖ヨアキム榊原。大阪。最初は医学を学ん だ。ある日、宣教師の説教にひかれ受洗。貧しい病人たちのために働く。40歳。

22。聖フランシスコ医師。京都。豊後の大名、 大友宗麟の 侍医を務める。京都で洗礼を愛け、聖ヨゼフ病院で活躍。46歳。

23。聖トマス談義者。伊勢。キリシタンの教え を聞き改 宗。その後、フランシスコ会の伝道士として働く。強い正義感の持ち主。 36歳。

24。聖ヨハネ絹屋。京都、織物師。修道院近く に住み、外 国人宣教師と 接触 の機会が多く、その教えを聞いて洗礼を受ける。28歳。

25。聖ガブリエル。伊勢。京都奉行に仕えてい たが、改宗してフランシスコ 会に入り司祭、修道士の仕事を手伝う。両親も信徒に。19歳。

26。聖パウロ鈴木。尾張。若くして洗礼を受 け、フランシスコ会の伝道士。 通訳として外国人司祭の宣教を助け、自らも説教師として活躍した。 49歳

All Rights reserved. No copy or use without permission.Written in Unicode(UTF-8)