日 本のイエズス会関連年表
キ リシタン時代 全会員名簿 イ エズス会員聖人・福者名 簿 イ エズ ス会上長名簿 歴 史ダータベース(外)
1500
ヴァ スコ・ ダ・ガマ喜望峰を迂回し、年5月インドのカレクー(カリカット)に着く
1510
フランシス コ・ザビエル  ナバラ国に生れる。詳細年表(ポルトガル語)
1513
ポ ルトガル、 マラッカを占 領
1515
ポ ルトガル船 隊、モルツカ諸島のテルナーテに至る
1516
ス ペイン人バ ルボア、太平洋を発見
1517
ポ ルトガル船 隊、ペルシャ湾のホルムズを占領
1537
教 皇パ ウロ3世、インディオが理性ある人間を肯定する『スブリムス・デイ』 回 勅を発す
1538
ロヨラの 聖イグナチオら、パリでイエズス会を結成
1542
メ ルカトール 世界図を刊行
1543
ポ ルトガル人 乗船のシナ・ジャンク船、種子島に漂着し、鉄砲伝来
1544
海 賊許棟、日 本に渡航
1549
イ エズス会宣 教師ザビエ ルト レスフェ ルナンデス、鹿児島 に到着、ベルナルド達に洗礼を授ける。
1551
ザ ビエル、京 都に上る、 11月 豊後府内よりインドに帰還し大 友義鎮使臣を伴う
1552
ザ ビエル、ゴ アに到着、5 月中国渡航のためゴアを出発し、12月上川島で病死。イエズス会のガー ゴ神父府内到着
1555
ポ ルトガル商 人アルメイ ダ 、府内に育児院開 設
1556
イ エズス会イ ンド副管区長 ヌー ネ ス・バレト、 視察のためガ スパル・ ヴィレラ神父 を伴い府内に着く、同年末府内に病院が建つ
1557
ポ ルトガル 人、明政府よりマカオ居住を許される。日本人最初の修道者ヨーロッパに初めて渡ったベルナルドが 死去
1559
ヴィレラ、京 都で宣教開始
1560
将 軍足利義輝ヴィレラに 布教許可 状交付
1562
フ ランスでユ グノー戦争始まる(〜1598)
1563
肥 前の領主大 村純忠、大和沢城主高山図書ダリオ(飛騨守・大慮)キリスト教に改宗。純忠 イエズ ス会に横瀬浦 を譲渡するが、焼き討ちされる
1564
高山右近(彦五郎・長房・友祥・重友)、 キ リスト教に改宗
1565
将 軍義輝暗殺 される、勅命 「大うすはらい」によりヴィレラフ ロイス神 父ら京都から追放される
1570
イ エズス会上 長カブラルオ ルガ ンティーノ来日、前上長トレ ス死去、長崎開港
1571
大 村純忠、長 崎新町六町の 地割を行う、ポルトガル船、長崎に初めて入港
1572
信 長、カブラ ル神父を岐阜城で引見
1576
京 都に南蛮寺 建つ。信長、 安土城を築(1579完成)
1577
後通訳・ 日本語研究などに貢献した、ジョアン・ロドロイゲス・ツツ(ツーズ)16歳で来日。
1579
イ エズス会東 インド管区巡察師ヴァ リ ニャーノ来 日
1580
ヴァ リ ニャーノが有馬と安土でセミナリオ、府内でコレジオを開校し、70人前後がヨーロッパ風の教育を始める。
1581
信 長、本能寺 でヴァ リ ニャーノを引見
1582
2月天 正少年使節、(伊東マ ンショ千 々石ミゲル原 マルチノ中 浦ジュリアンヴァ リ ニャーノメスキタ共に長崎を発つ、6月本能寺の変で信長死去
1583
秀 吉、大坂城 を築き、イエズス会に教会用地を与える
1585
グレゴリオ13世、 天正遣欧使節を引見して後程なく死去、シスト5世新教 皇に就く
1586
秀 吉、大阪城 で準管区長コ エリョを 引見
1587
天 正少年使節メスキタと共にリスボンよりゴアに到着。大 友義鎮大 村純忠死去。秀吉、禁 教令を出す(1587年7月 24日)
1588
教 皇勅令によ り、日本司教設置。細川ガラシャ夫人受 洗。
1590
ヴァ リニャーノメスキタ天 正少年使節と共に長崎に到着。サンデ編『日本使節対話録』マカオで刊行
1591
秀 吉、フィリ ピンに入貢を要求。活版印刷機によりキリシタン版が 始まる。
1592
フィ リピン総 督使節フアン・コーボ、肥前名護屋城で秀吉に謁見
1593
秀 吉、名護屋 城でフィリピン総督使節ぺドロ・バウティスタを 引見。高麗戦争に出た兵士の司牧にゼ スペデスとハンカン派遣。
1596
府 内司教ぺト ロ・マルティンス、来日し伏見城で 秀吉に謁す。スペイン船サ ン・フェリーぺ 号土佐浦戸に漂着
1597
サ ン・フェリーぺ 号についての交渉が難航し、キリシタン26名、長崎で処刑される(26聖人殉教
1598
府 内司教マル ティンス、マラッカ近病没。秀吉、伏見城で死去、日本 司教ル イス・デ・セルケイラヴァ リ ニャーノと共に長崎に着く
1599
フ ランシスコ 会士へロニモ・デ・ヘスース、徳川家康の許可をえ て江戸に教会を建てる
1600
関 ケ原の戦い。細川ガラシャの死
1601
イ エズス会宣 教師マテオ・リッチ、北京に至る。
1603
江 戸幕府開か れる。八代で南・竹田家のキリシタン殉教。(2008年列福)
1604
幕 府、糸割符法 を制定し生糸貿易を統制する、家康、伏見城でドミニコ会上長メーナ を引見
1605
ク レメンテ8世教皇に続いて、レ オ11世(25日間で死去)、パウロ5世は 任命される
1606
家 康、伏見城 で日本司教セルケイラを引見
1607
イ エズス会準 管区長パシオ、駿府に家康を、江戸に将軍秀忠を訪ねる
1608
有馬晴信派 遣 朱印船関係者ら、マカオで市民と衝突し53人殺害される
1609
オ ランダ船、 平戸に入港し、幕府の許可をえて商館を開設。
1610
ポ ルトガル船 ノツサ・セ ニョーラ・ダ・グラサ号、有馬晴信軍の攻撃を受け長崎沖で自爆(岡本大八事件)、ド ン・ロドリゴ三 浦按針(ウィリアム・アダムス)建造船でメキシコに帰還
1612
岡 本大八事件 が発覚し、幕府、江戸・駿府・京都の直轄地と有馬領に禁教令を施行
1613
江 戸のキリシ タン8名処刑される、伊達政宗、支 倉常長とフランシスコ会士ソテロを スペインとローマ教皇庁に遣わす
1614
幕 府、全国に禁教令を布告し宣教師および高山右近らを国外に追放、長崎市内にある11教会被壊され る。大 坂冬の陣始まる。ニ アバラ・ルイスら難破
1615
高山右近、マ ニラで病死。 支 倉常長、マドリードでキリスト教に改宗し、ローマで教皇パウロ5世に謁す。福者ペトロ岐部マ ニラに渡航
1616
家 康死去、幕 府、外国船の 入港を長崎・平戸の2港に制限し、キリスト教を厳禁。支 倉常長一 行、ローマを発ち帰路に着く
1620
教 皇パウロ5世、重ねて大赦令を発し、日本キリシタン宛書状を送る
1622
イ グ ナチオ、ザビエル列聖される。福者スピノラ木 村セバ スティアン木 村 レオナルドら 殉教(元和大殉教
1623
福者ペトロ岐部、 リスボンから ゴアに向かう、オランダ、アンポイナでイギリス人・日本人らを虐殺
1624
仙 台、出羽秋 田で福者ディ エゴ・カル ヴァーリョらと キリシタン41名処刑、大村でソテロら4名処刑
1626
長 崎の住民、 キリスト教の信仰を禁じられる
1627
二十六聖人のうち、23名列福される。
1628
踏絵制度開始。 (1858年まで)
1629
二十六聖人のうち、イエズス会の3名(パウロ三木、ヨハネ五島、ヤコブ喜斎)列福される。
1630
福者ペトロ岐部、 松田ミゲルら ルパング島を出航し帰国
1633
福者ニ コ ラオ慶安福永・福者中浦ジュリアン殉教
1634
長 崎の商人、 幕命により出島を築く(1636)
1636
幕 府、ポルト ガル人と日本人との混血児287名をマカオに追放(カスタ流し)。福者ディオゴ 結城了雪殉教
1637
島 原の乱発生 (1638まで)
1639
福者ペトロ岐部、 江戸で殉教。 幕府、ポルトガル人の日本渡航を禁止(鎖国の 完成)
1640
幕 府、マカオ 使節61名を西坂で処刑しポルトガル船を焼く、大目付井上政重、宗門改役に就く
1642
イ エズス会日 本巡察師ル ビノ一 行、下甑島に渡航し捕えられてのち処刑される
1643
管 区長マル ケスの一行、上陸し捕え、ディ エゴ・モラレスら 殉教
1644
ポ ルトガル国 王ジョアン四世、マカオ・長崎間貿易再開のため特使シケイラを日本に派遣。日本残留最後の神父、小西マンショ殉教。
1647
ポ ルトガル国 王使節シケイラ、長崎に来航、幕府、ポルトガルとの通交を許さず同使節を帰国させる
日本鎖国時代。日本での公なイエズス会宣教活動なし(ただし、1714年教区 司祭シドッチ殉教)。隠れキリシタン時代
1905
日露戦争終結。教皇ピオ十世の使節来日。カトリック大学設立要望
1908
ホ フマン神父ら先発3司祭来日
1913
上智大学正 式ス タート
1923
関 東大震災。広島で宣教活動開始
1938
神戸で六甲中学校創立
1947
鎌 倉で栄光学園創立
1948
広島でエリザベト音楽短期大学創立
1951
山口で聖フランシスコ・ザビエル 記念聖堂献堂式
1953
六甲カトリック教会献堂式
1954
東京で神学院創立。広島で世 界平和記念聖堂献堂式
1955
海外会員のため田浦で日本語学校創立
1956
広島学院創 立
1957
広島長束で修練院創立
1958
日本準管区から管区に昇格
1962
長崎で二十六聖人記念館創立
1973
神奈川県泰野で上智短期大学スタート
1983
福岡で泰 星学園の経営委託を受ける
1997
長崎で 26聖人殉教400年記念
2008
長崎で4 人の会員を含めた188人殉教者の列福式。