天正少年使節年表ジュ リアン詳細説明キリシタン年 表
西(邦)暦西暦月日事項
1567(永禄10)

コンスタンティノ・ドウラード諫早に生まれる。
1568(永禄11)
中浦ジュリアン、肥前国大村領中浦(現長崎県西海市中浦)に生まれる。伊東マ ンショ日向都於都城に生まれる。
1569(永禄12)
千々石ミゲル有馬領千々石に生まれる。原マルチノ大村領波佐見に生まれる。
1578(天正5)
8月28日
伊東家、豊後に亡命。マンショ受洗。
大友宗麟受洗、以後宣教師の記録に「ドン・フランシスコ」と呼ばれる。
1579(天正7)
7月25日
ヴァリニヤーノ神 父、口之津に上陸。
1580(天正8)4月
有馬晴信受洗「ドン・プロタシオ」。千々石ミゲル受洗。有馬セミナリヨ設立。ジュリアン達入学。
1581(天正9)9月ヴァリニヤーノ、 安土で信長謁見。有馬セミナリヨを訪れる。使節選考。
1582(天正10)2月20日
長崎港を出帆。
3月9日マカオに着く。
12月31日マカオ出帆。
1583(天正11)1月27日
マラッカ到着。
2月4日マラッカ出帆。インド洋でマンショ発病。
4月7日コチン到着。
10月30日コチン出帆。
11月10日ゴア到着。
グレゴリオ暦に変更
1583(天正11)
11月
12月20日
イン ド総督マスカレニアスに謁見。
ヴァリニャーノと別れ、メスキータ神父と共にゴア出発。
1584(天正12)1月
2月20日
3月9日
5月10日
5月27日
6月6日
コチン到着。
サンティアゴ号に乗ってコチン出帆。
赤道通過。
希望峰通過。
サンタ・ヘレナ島に到着。
サンタ・ヘレナ島出発。
8月11日
8月13日
8月下旬
8月5日
9月8日
9月15日
9月18日
9月23日
9月25日
9月29日
9月30日
10月2日
10月19日
10月20日
リスボンに上陸。
枢機卿アルベルト・デ・アウストリアに謁見。
シントラ宮殿を訪れる。リスボンで、ルイス・デ・グラナダ神父にあいきつ
リスボンを出帆
エヴオラに到着。
エヴオラを出て、ビラビソーサに到着。ブラガンザ公爵の宮殿に宿る。
ビラビソーサを出発
スペインのグアダルペ修道院に到着
グアダルベを出発
聖ミカエルの祝日、トレド着く
トレド大聖堂を訪れる
千々石ミゲル天然痘にかかる
トレドを出発
マドリドに着く、原マルチノ胃痛に伏す
11月8日
11月11日
11月14日
11月15日
11月16日
11月19日
11月25日
11月26日
11月28日
11月29日
12月1日
12月2日
12月5日
12月10日
メスキー夕神父、 フエリぺ二世に謁見
聖マルチノの祝日、サン・へロニモ教会でスペイン皇太子宣誓式
フエリぺ二世に謁見
元ドイツ皇后マりアに謁見
エスコリアル修道院へ行く
マドリドに戻る
フエリぺ国王、使節宿泊所イエズス会の学院を来訪、別れを告げる
マドリドを出で、アルカラに到着
大学で荘厳に迎えられる
アルカラを出発
ビヤレホに着き、イエズス会修練院に滞在する
べルモンテに到着、イエズス会学院に宿る
ベルモンテを出発ミナヤに到着
ムルシアに着くムルシアのイエズス会学院でクリスマスを祝う
1585(天正13) 1月3日
1月4日
1月5日
2月7日
2月15日
2月19日
アリカンテ港を出帆。マジョリカを経てイタリアに赴く。
ムルシアを出て、オリウエラに着く
エルチエに到着
アリカンテに到着アリカンテ港を出帆
マジヨリカ島のアルクデイアに入港
アルクデイアを出帆
3月1日
3月2日
3月7日
3月13日
3月14日
リヴォルノ港に着く。イタリア上陸
ピサ到着。メデイチ公爵宮殿に宿る
ピサを出て、フイレンツエに着く
フイレンツエを出発シエナに到着
シエナを出発
3月17日シェナを出発。ジュリアン「三日熟」にかかる。
3月22日ローマに着く。アクアヴィヴァ総長ジェス教会で迎える。
3月23日ジュリアン一人でローマ法王グレゴリオ13世に謁見。後、使節全体、枢機卿会議中、荘厳公式謁見。
4月10日
  26日
グレゴリオ13世逝去。シク スト5世選ばれる。
使節、新教皇シクスト5世に謁見。
5月1日シクスト5世の戴冠式に参列。
29日ローマ議会で市民権を賜る。
6月3日
ローマ出発。ロレトを経てヴェニスに赴く。フェララで再び病気になる。
28日ヴェニスの大統領に謁見。
8月9日ビセンサ,マンツア,ミラノを経てゼノア港出帆。
16日バルセロナに入港。モンセラトヘ巡礼。
9月10日モンゾンでフェリぺ2世に謁見。 マドリドを経てポルトガルヘ行く。
11月25日リスボン着。コインブラのイエズス会学院でクリスマスを祝う。
1586(天正14)4月8日リスボン港を出帆。
1587(天正15)3月15日
5月29日
6月4日
12月1日
モザンビークを出帆
ゴアに到着
ヴアリニヤーノ神父に対する原マルチノの感謝の演説。コンス夕ンテイノ・ドウラド原マルチノの演説を出版
伊東マンシヨ、シクスト五世宛書簡
1588(天正16)4月22日
ゴアを出帆。
7月28日マカオに着く。
1590(天正18)6月23日
マカオ出帆。
7月21日長崎に帰港。大村喜前長崎に使節を迎う、有馬晴信長崎に使節を迎う。
8月9日有馬、大村へ行く有馬に滞在
10月1日予々石ミゲル、有馬からシクスト五世、カラフア枢機卿宛書筒。使節たち 長崎に戻る
10月12日伊東マンシヨ長崎からアクアヴイヴア宛書簡
10月上旬使節一行、海路にて長崎を出帆。室津に到着、滞在する
1591(天正19)2月23日
京都に入る。
3月3日 緊楽第に おいて 関白秀吉に謁見し、西洋音楽を演奏する。
5月有馬教会において有馬晴信に使節返書を奉ずる。
7月25日天草,河内浦においてイエズス会に入会。
1592(文 禄1)3月4日
伊東マンシヨ、ニコラス・デ・ボパデイリヤ宛書簡
3月12日伊東マンシヨ、イルマン・ルドヴイコ・サピオ宛書筒
3月14日マノエル・ロドリゲス神父宛書簡
9月15日伊東マンシヨ、グレゴリオ十四世宛書筒
12月1日伊東マンシヨ、アクアヴイヴア総長宛書簡
1593(文禄2)7月25日河内浦で誓願を立て,コレ ジヨに移る。
1597(慶長2)9月天草のコレジヨ長崎に移される。
1600(慶長5)9月ジュリアン八代の教会で務める。
1601(慶長6)
伊東マンショと中浦ジュリアンはマカオに留学。
千々石ミゲルはイエズス会脱会。大村喜前に使える。
コンスタンティノは有馬セミナリオで務める。
1604(慶長9)
帰国,有馬セミナリヨで務める。
1606(慶長11)9月長崎で副助祭になる。
1607(慶長12)
長崎で助祭となる。
1608(慶長13)

ジュリアン、京都,博多で布教。
9月マンショ、マルチノ、ジュリアン、セルケイラ司教により司祭に叙階。
1609(慶長14)
ジュリアン博多教会で布教。
1612(慶長17)11月13日
マンショ、長崎コレジオにて帰天。
1614(慶長19)11月4日十善寺浜の小屋でメスキータ神父死亡。
7日原マルチノらマカオに追放,ジュリアン潜伏。
22日口之津で大殉教。ジュリアン、口之津へ行く。
1615(元和1)
ジュリアン、10年間にわたって口之津で布教。
1620(元和6)7月3日
コンスタンティノはマカオにて帰天。
1621(元和7)9月21日マス カレニアス神父宛手紙を書く。
12月21日ジュリアン、加津佐で終誓願を立てる。
1626(寛永3)
ジュリアン、小倉に移る。
1629(寛永6)10月23日
マルチノ、マカオにて帰天。
1632(寛永9)不詳ジュリアン、小倉にて捕らえられ長崎に送られる。
1633(寛永9)1月23日
千々石ミゲル帰天。(平成16年2月、ミゲル夫妻のものと思しき墓石が 長 崎多良見町伊木力にて確認。
戒名が「本住院常安」、没年月日が「寛永9年12月14日」と刻まれている。)
1633(寛永10)10月18日西坂において穴吊りの責めを受ける。
21日穴吊りで殉教。