奴 隷、拉致、人身売買について十六世の教会の立場(訳と抜粋はデ・ル カ・レンゾによる
教皇パウロ三世『スブリムス・デイ』回勅
(1537年5月29日付)

〔…〕「悪魔はその家来にイ ンディオ達がカトリック信仰を受ける能力に欠けているという欺瞞をもって、彼らを野蛮的に、また我らの下僕のために創造された存在として扱うように唆し た。
それに対して、その任務に値しない者でありながら神の民を自分の元に受け入れる役割を任せられた我は、インディオ達があらゆるところにおいても人間であ り、カトリックの信仰を受け入れる能力があるのみならず、(受けた情報によれば)それを切に待ち望んでいると考えている。・・・それに対して述べられたあ らゆる話にもかかわらず、インディオ達とその後キリシタンによって発見されるであろう、キリスト教の信仰を受け入れない場合でも、あらゆる民の自由と所有 権を決して 奪ってはならない。また、そのような人々が自由にかつ正当に所有権を持ち、あらゆるかたちにおいても束縛されてはならない。この掟が破られた行為は拘束力 を失う。」
奴隷と拉致についてキリシタン時代の日本司教ルイス・セルケイラの定め
(原文:BRAH,JesuitasM.21, ff.272-276v。フランス語訳:パジェス『歴史』II,70-79頁)

「来日後、日本の召使いと召使い制度の悪い結果について知識を得た 後、インドに出発する前、ドン・ペトロ〔マルティンス、1596年の定め〕司教はこの町 〔長崎〕で最近出版された破門の定を書いた。その定書に人身売買、また日本の少年少女の拉致に対する司教にのみ解消権限のある直破門を定めた。また、拉致 した人に対する権限を失った上、一人の拉致に対する10クルザドの罰金を定めた。・・・」
〔1598年9月4日の〕「会議に参加した神父達は日本の豊富な経験、〔ペトロ・マリティンス〕司教が破門を決定した重要な理由のため、〔セルケイラ司教 は〕自分で得た情報によっても皆が知っている、日本と韓国の召使いとその制度の複雑さは知恵のある人、神を信じる、中国人、インド人またヨーロッパ人から も悪評を招くので、上述の破門とその罰を再決定しようと思ったことに関して、参加した神父達の意見を聞きたいとのことでした。」