「幻の神父」金鍔次兵衛(Tomas de San Agustin神父) | |
今回列福される188殉教者のなか、一番よく知られている名前は間違いなく「金鍔」であろう。様々な伝説の
主人公、徳川幕府を悩ませた「張本人」であった人物。同時に、
伝説が多いからこそ彼の本来の姿が見えにくい。おそらく、「金鍔」という名前を知っている人々の間で、彼がトマス・デ・サン・アウグスチンというアウグス
チノ会の司祭であり、殉教者でもあったことを知らない人は少なくない。 彼の父はレオ小石衛門、母はクララというキリシタンの両親の子供であり、伝承によれば、家族の皆が殉教者になったほどの熱心な信者であった。大村氏の下 で活躍していた家族だけに、トマスは六歳前後ですでに有馬にあったセミナリオに入る希望を現し、他の少年たちと遊びながらラテン語を学んだと伝えられてい る。 長崎奉行の馬丁になり、しばらくの間キリシタンの「スパイ」の活動をしながら信者たちのゆるしの秘跡などの世話をした。やがて逃亡して幕府が「金鍔狩 り」を命令するほど潜伏することに成功した。捕らえられた後言い尽くしがたい拷問にかけられ、「転んだ」欺瞞も流されたこともある。しかし、最期に「キリ ストに賛美」などを叫びながら死刑所の西坂に向かい、役人達は口がきけないようにさせたなどとあり、キリシタンとそうでない人々に素晴らしい模範を残しな がら、1637年11月6日に、当記念館の建っているところで殉教した。2008年11月24日列福される。 〔参考文献〕 片岡弥吉著、「金鍔次兵衛一件資料」、昭和37年、長崎学会叢書第8輯 片岡弥吉著、『日本キリシタン殉教史』、昭和54年、東京、時事通信社 H.チースリク著、『キリシタン時代の邦人司祭』、昭和56年、キリシタシ文化研究会 H.チースリク著高祖敏明監修、『キリシタン時代の日本人司祭』、2004年、キリシタシ文化研究会第41輯 | |
写真、金鍔次兵衛 (Tomas de San
Agustin神父)、本田利光作、1980年、二十六聖人 記念館の中庭常設 |