沿革/
1570年、ポルトガルとの貿易港として開港されて以来、長崎は、日本のキリスト教の中心都市として栄えたが、キリスト教を信じることを禁じる政策が行われる弾圧の時代を迎え、ここ《西坂の丘》が26聖人をはじめとするキリスト教徒の殉教の地となる。
第2次世界大戦後、原爆による壊滅的被害を受けた長崎市は、復興事業の一環として、この殉教地を公園として整備。1956年には長崎県が史跡に指定。26聖人列聖百周年の1962年、長崎市の協力のもと、公園内に記念碑と記念館が、イエズス会によって建てられた。記念館の設計は、日本に初めてガウディを紹介した建築家・今井兼次氏(隣接する聖フィリッポ教会も設計)。記念碑は、信仰をテーマにした数々の秀作を制作した彫刻家・舟越保武氏の代表作である。2011年、展示品の保全と解りやすい展示のため、大規模な改修がなされた。
- ①26聖人を初めとする殉教者のメッセージを伝える。
- ②聖フランシスコ・ザビエルの渡来から明治時代までの、日本のキリスト教の歴史を紹介する。
- ③日本と南ヨーロッパ(ポルトガル・スペイン・イタリア)との出会いから生まれたキリシタン文化を紹介する。
当館の目的/
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1階ZONE1
26聖人の旅/
1630年、イエズス会Morejon神父による26聖人のなかの3人の殉教者の遺骨証明書、26人の殉教者の列聖を伝える1862年のローマの新聞など -
1階ZONE2
キリスト教伝来/
1549年、日本に鹿児島に上陸し、キリスト教を伝えたスペイン人フランシスコ・ザビエル神父ゆかりの品や、彼が所属したイエズス会に関する資料展示 -
1階ZONE3
受容・発展・交流/
聖木十字架の破片(同様のものが、1591年ローマ教皇から天正遣欧使節に預けられ、有馬晴信に渡された)、1595年制作の「日本図」、1585年に天正遣欧使節がローマ教皇の謁見したときの記録など展示 -
1階ZONE4
迫害・殉教/
福者中浦ジュリアン(1633年殉教)の書簡(1621年作成ポルトガル語)、1624年・1627年殉教した小干浦(現長崎県)の信徒名を刻む銅板、慶応2(1866)年の宗門改帳、踏絵帳の一部、大分・丹生で発見された遺物など展示 -
1階ZONE5
かくれキリシタン/
天和2(1682)年の高札、没収されず浦上で保管された大型メダイ、浦上でキリスト像として拝まれた6世紀制作の朝鮮仏、島原有家で発見されたマリア観音を隠した柱の一部、17世紀初頭制作の外海で保管された「雪のさんたまりあ」など展示 -
1階ZONE6
復光/
明治2(1869)年発行のプティジャン版「聖教初学要理」、1872年6月7日号「ミッション・カトリック」、1868年、津和野に流された守山甚三郎の1900年頃の報告書と殉教者名簿、明治13(1880)年頃に書かれた「公教要理」の写本など展示 -
1階ZONE7
キリスト教の世界/
イエズス会創設者聖イグナチオ・ロヨラの自筆書簡(1536年11月1日付)、巡察師ヴァリアーノが日本人用に書いた「日本のカテキスモ(1586年)」ラテン語版(1593年)、福者高山右近像(舟越保武作)など展示 -
2階ZONE8
その時の世界/
15世紀に手描きされ、使用されたスペイン・アビラの修道院の巨大な聖歌集(羊皮紙)、17世紀にメキシコのプレペチャス族作成の十字架、マカオのサンパウロ教会跡で発見された象牙製の「聖家族」(17世紀頃)などを展示 -
2階ZONE9
その時の日本/
1752年パリ出版「世界旅総合史」のなかの「江戸図」、1736年パリ出版「日本の歴史と全体図」のなかの「安土城」、1764年ジャック・ベラン制作「長崎村と港図」、松村九兵衛著「小学読本」(明治19年)のなかの「細川ガラシャ」など展示 -
2階ZONE10
栄光の間/
イエズス会士の聖遺骨が収められた箱、聖ヤコボ喜斎の腕の遺骨、マカオで保管され、1995年長崎に返還された日本の殉教者の遺骨、被爆したマリア観音など展示 -
屋外
聖ロレンソ・ルイス像、福者トマス金鍔次兵衛神父像、小市ディエゴと朝鮮人福者カイヨ殉教顕彰碑、潜伏時代の浦上キリシタン墓碑など展示
※新着情報は、日本二十六聖人記念館-Facebookへ
※《車椅子ご利用の方へ》
記念館内は、2階への車椅子での移動は困難です。
教会堂も、1階フロアから2階の聖堂まで、車椅子での移動は難しいです。
ご了承ください。誠に申し訳ありません。